金曜日の彼
これは、東京で働く20代前半女性のはなし。
月曜日 各タスクの進捗を回収し、確認する
火曜日 新しい情報をもとに、いくつかタスクを走らせる
水曜日 軌道修正が必要そうなものをピックアップして実行
木曜日 週明けに向け、各所に新しいタスクの依頼と報告
金曜日 諸々の事務処理や調整
いわゆる大企業に勤めていた私の平日は、こんな感じで流れていた。
土日に出勤することもあったが、嫌な気はしなかった。
働いた分の給料は受け取っていたし、チームで一番年下だったペーペーの私が貢献できることなんて、誰よりも早くキャッチアップすることくらいだったから。
そんな時に出会った人だった。
近い業界で独立していた一回り以上歳の離れた彼は太い案件をいくつか担当しながら
経営も行い部下を食わせ、忙しそうに、楽しそうに生きていた。
その姿に、純粋に憧れていた。
当時、大学院に通いながら会社に勤めていた私は、修士論文の執筆に集中すべく退職を選んだ。
その旨を報告すると、サシの送別会を提案された。
驚いた。発注する側だったから気を遣わせてしまったのかと思い、申し訳ない気持ちになった。
開催は、金曜日だった。
銀座からはじまったその夜は、赤坂・恵比寿・渋谷と移動を重ね、彼の知人や同僚と呼ばれる人たちが現れては消えた。
お店はだいたい移動中の車内で電話を鳴らし、「今から空いてる?」の一言でコトが済んでいた。
きっとよく、こういう遊び方をしているんだろうなと察し、私なりに背伸びをしながら謳歌してみせた。
憧れの人と渡り歩く夜の街は、20代前半の私にとって十分すぎるご褒美だった。
空がうっすらと明るさを取り戻し始めた頃、お礼を述べてタクシーにからだを押し込んだ。
疲労とアルコールが混ざり合い頭はクラクラしていたが、
友人たちと飲み明かした帰り道とは異なる、不思議な充実感があった。
それ以降、金曜日の夜になるとポツリ、思い出したように彼から連絡がくるようになった。
利害関係のない、それでいて社会的な立場を知っている私は、気楽で都合が良かったんだと思う。
夜の街は、他愛のない会話をするのに困らないだけのネタで溢れていて、
目の前で交錯する色恋を酒の肴に楽しんだ。
お互いのプライベートについて話すことはなかった。
ある時は初めましての人たちに混ざり、2人して雰囲気に溶けこんではタイミングを見て離れたりして遊んだ。
別々に飲み会をしていた夜は、それぞれの二次会を合同にして幹事の役割を買って出、みんなで朝を迎えたこともあった。
そんな風にから騒ぎの一部になったり傍観したりを繰り返し、曖昧だけどリアルな瞬間に身を任せた。
いつからか、まどろみながら一人乗り込んでいたタクシーには、彼が隣へ深くのけぞって腰掛けるようになっていた。
そうして帰宅し、夜が明け、お昼前になると身支度を整えて一杯のコーヒーを飲みほし、部屋をあとにするのだった。
言葉はあまり意味を持たず、お互いの呼吸と認識がそのほとんど全てだった。
だから私たちの金曜日は、自由で滑稽で、少し不埒だった。
月に1・2度訪れるこんな金曜日が板についてきた頃だった。
私は大学院を卒業し、転職した頃に別の男性から交際を申し込まれた。
特に断る理由もなかった。
引っ越しをして住む場所を変えた。
金曜日の彼とは、自然と疎遠になっていった。
彼を思い出すことは不思議となかった。
なぜなら私は、彼の仕事以外について全く知らないのだ。
知っていることはといえば、酒のせいでゆるみきった笑顔と口癖、タバコの銘柄。
そのくらいなもんだ。
趣味も、休日の過ごし方も、住んでいる場所も生まれた土地も、血液型や誕生日さえ知らない。
ただ、今でもアメリカンスピリッツの匂いが鼻をかすめると、やけに嫌気のない悔しさと懐かしさが襲う。
これだけは紛れもなく、私だけのものだ。
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後書き:
なんか小説っぽいものを書きたくて衝動的にグワっと物語をやりました。フィクションです。