Hi, How are you? ハイハワ✋)

Hi, How are you?

アラサー女の備忘ログはこちらです。

ロンドンで働き始めて10ヶ月が経ちました。

Black Fridayを経てシティはすっかり聖夜を待ちわびる雰囲気に。

東京にいた頃アクティブだったTwitterLinked inになり、情報収集や日常会話が英語にシフトし始めてからというもの、日本語で発信することから遠ざかっていたのですが、

思いがけずTwitter経由でロンドン拠点のスタートアップで働く日本人からコンタクトを頂いて嬉しかったし、年末だし、渡英から10ヶ月の歩みをまとめてみました。

Hello world! 問われる適応能力

私が飛び込んだのはITインフラ及びシステムを事業会社に提供するローカル企業。

言語は不自由だし、業界用語は多いし、何より日本以外で暮らしたことないし!という中で身体的・精神的健全さを保つため、運動量や栄養の摂取・分解・消費量をこまめにHealth系アプリで管理し数値を適正値に安定化させるためのPDCAを半年強かけて回していました。

検証のために、毎日運動する週を設定したり、絶食または過食する週を設定したりなどを経て、条件設定はできたと思います。

役割を超えるためにポリシーを設定する

会社のサイズと業務特性から、部署横断で仕事をしていますがエンジニアやコンサルタントと一緒に仕事をするときは数字の裏にあるストーリーの説明、業務の線引きをする必要があります。

彼らは専門知識をもつプロフェッショナル。一緒に仕事を進めるには、顧客理解はもちろん、自社における経済的・人的リソース、個人スペックを把握していなければ、適格な発言も、案件に対する深い考察もできないし、核論に至る議論なんて以ての外。

私は私自身から流れる情報に責任を持つというポリシーを定め、それを全うするためキーマンと会話し、社内の経営管理情報もインプットし、私から流れる情報の精度を上げるため、納得できるまで調査や分析を行っていました。

これを”社内営業”だとか”残業泥棒”だとかいう人もいるかもしれません。同僚からは、働きすぎじゃない?とか資料あさりすぎじゃない?と声をかけられることもあります。

でも、そうじゃない。実際残業代つかないし。

私は自分自身の仕事におけるポリシーを守って働くことが理想だし、ともに仕事をする人への配慮や尊敬を怠りたくないという純粋な気持ちで行動しているだけなのです。

この辺りのことは矛盾との対峙も含めて高橋さんのブログがとてもわかりやすくまとめておられ、私の認識と近いと感じたので参考までに。

link.medium.com

論理と自信があれば、言語が未熟でも仕事はできる

上記の方法で仕事を進め、売り上げや課題解決に貢献することで存在感を示しました。

ここまで読んでいただいた方の多くが、留学経験ゼロ・帰国子女でもない私が英語で上記を行えるの?と疑問が残っていることかと。

まず大前提ですが、私のマネジャーは日本人です。彼とは勿論日本語で会話をしています。ラッキーな状況だと思います。

しかし、エンジニアやコンサルタントや外注先は日本人ではありません。

そこで問われるのが情報の正当性と適時性。私から出てくる情報は正しく、相手にとって重要またはメリットがあり、タイミング抜群!と思ってもらえなければ、商流や製品知識もおぼつかない且つ言語が不自由な人間の話なんて誰も聞きたくありません。それが現実。(実際会話の途中で電話を切られた経験もあります。。。)

そこで私がとった方法は、業務上必要なコミュニケーションをカテゴライズし使う英語を限定してとにかくその英語を繰り返し使うこと。

コミュニケーションの型を作ることで使用する英語は具体的かつ限定的になりフォーマット化され、英語を使ってうまく伝わった機会を経験することで自信をつけ、うまく伝わらなかったら修正する、という方法をとりました。時間はかかるけど、業務効率も上がるし英語も身につくし一石二鳥じゃん!と。

Kieは同じワードをよく使うなあと思っているかもしれないけれど許してくれという気持ちです。

話が逸れましたが、論旨が明確で筋が通っており、相手が必要な情報を適切なタイミングで伝えられれば仕事は進めることができます。私は真剣にそう思っているのですが、海外で仕事する日本人の皆様、いかがでしょうか。

継続して挑戦し続けるために必要なコントラスト

仕事をしながら知り合いのいない地で友達をつくることはかなり難しいです。同僚としか飲みにも行かないし。

仕事や生活のルーチンワークが固まった時期から英語教師を週一で雇い始めました。彼はすごくポッシュな英国人で、私の週一のオアシス。

人生で使う時間の大別パイチャートでいうSocial Networkingが一時的に減少しているため、仕事以外の何かが欲しかったというのが正しい気がします。

www.dailyinfographic.com

久しぶりの日本。この緊張感はなんだろう

最後に、およそ1年ぶりに一時帰国することが決まりました。仕事の予定もあるけど、ほぼオフです。気づいたら有給が1日も消化できていなかったので1月初旬までお休みを頂きました。有休消化上等カルチャー最高!

今なぜか、ドキドキしています。ネガティブな意味じゃなく。また違った視点で自分の国を見ることができるんじゃないかという好奇心が沸いているんです。初めての感覚。

日本は寒いのかなあ。

楽しみです。

海外で働きたいと思ってからロンドンのIT企業に採用されるまでの記録。

本格的にロンドンへ移住して1ヶ月が経過し、無事に仕事が決まりました。

海外で働きたい!と思ってから、気づけば半年以上経過していました。長かったな本当に。

東京で働いていたアラサー女子が、前職を辞めてから海外で転職するまでの記録です。

 

地元で働き始める 8月, 2017

前職を退職し、ベルリンで今後のキャリアを模索していた私に一件のメールが届きました。

この日のことは、忘れもしない。

内容は、イギリスのワーホリビザ審査が1次をパスしたというもの。

それまで、海外でフリーランスとして生活しようとか、日本で海外向けサービスを作っている会社やインターナショナルなチームのスタートアップで働こうかなど検討していたけれど、本格的に英語を勉強する!ロンドンで生活する!と決意し、日本へすぐに帰国しました。

準備期間を東京で過ごすか悩んだ末、両親との良好な関係構築と貯金の目的で、約8年ぶり(!)に地元へ帰り外国人宿泊者の多いビジネスホテルで働きながら英語に触れつつ勉強することを選びました。

その他にも、遠隔でできるスポットの仕事を並行してやっていました。人生史上最高に何でも屋と化し、稼げるなら脱ぐ以外なんでもやります!というノリで。

この時、フロントサイドのエンジニアリングスキル及びアドビのデザインスキルが少しでもあればなぁと思うシーンが多々ありました。

そんなこんなで最終的に5ヶ月でロンドンの家賃平均1年分ほど稼ぐことができました。実家は神。

正式にビザを取得 9月, 2017

所定の書類を揃えるために銀行に行ったり、カバーレターを作成し英文がおかしくないか単語が間違っていないか入念にチェックを重ね、やっとの思いで完成させました。

その後、東京にある英国移民局での面接と書類提出を経て2018年2月から移住するスケジュールを組み、無事審査を通過しました。

新たにパスポートに印刷された渡英許可のページを見たとき、たまらなく嬉しかった。

知っている人は知っているけれど、実は7月にイギリス・ヒースロー空港で強制退国を受けスイスに戻されパスポートにバツがついた経験があったので、移民局からビザを取得できたことは私にとって、インターナショナルに生きることを改めて許可されたことと同義だったのでした。

両親と別れ、渡英 2月, 2018

20代後半にも関わらず半年ほど実家に居座り、

「結婚する気あるの?」

「将来何になりたいの?」

そんなことばかり両親に言われて過ごしていました。正直かなりツラかった。大学院を出て、東京で仕事して、帰ってきたと思ったら海外で生活するなんて言われたらそりゃ困惑するよね。

冷静に反対されたり突き離されてへこむこともしばしばあったけれど、つど意見交換し、真摯に向き合うことで両親から理解を得ることができました。

最終的に笑顔で送り出してくれた二人には、感謝しかありません。 

また、この期間で兄嫁夫婦とその姪と遊ぶ機会も何度かあり、私にとって改めて家族の素晴らしさや尊さ、ルーツを深く感じる機会にもなりました。

入国してすぐ転職活動をスタート。予め住む家は決めていました。

帰国子女でもなければ大学時代に留学経験もない私にとっての、初めての海外生活、インターナショナルな転職活動がスタートしました。

持っている武器は、日本でのキャリアのみ。コネも、UKおよびEU圏内の学術的バックグランドもない。言語もそこそこ。

正直、オフィスワークに就けるのかすら不安でした。

解消するためにしたことといえば、毎日オンライン英会話レッスンをした後、求人情報をチェックしてはカバーレターやCVを書く。これの繰り返し。あとは現地リクルーターとも数人お会いしました。LinkedInもアクティブにしたかな。

このとき、日本人のリサーチャーを募集していた英系企業を見つけ、アルバイトの仕事をゲットしました。働きながら英語を吸収しつつ、とにかく仕事を探すぞ!!!という前向きな気持ちを必死で保っていました。

IT企業からオファー! 3月, 2018

1ヶ月間で計6社ほどインタビューを受けました。アプライした数は12社ほど。最終まで進んだのが3社、オファーを受けたのが2社でした。業種はIT以外だと航空会社、旅行会社、語学学校などで、職種はカスタマーサービス(CS)が主でした。

最終的に、現地で日系企業の欧州進出を支援するIT企業に就職することを決めました。職種はセールスコーディネーターです。

決め手は、

  • IT業界で働きたかったこと。
  • 40人弱のベンチャーで風通しの良さと柔軟さを感じたこと。
  • エンジニアリングなど新しいことを学ぶことが許された環境であること。

最後に

最初の頃は、全く英語で自分を表現できず憤りを感じる日々でした。

面接で、このポジションは私しかいない!御社のアセットです!としっかり伝えられた感触を持っても、返事が一切来ない企業もありました。

毎日3時間、4時間おきに不安で目が覚め、その度に求人情報を見ては行きたい企業が求めるスペックと自分に足りてない要素を書き出し、言い換えた表現や切り替えせるエピソードを考えてはメモし、ロープレしました。

渡英から1ヶ月、希望の業種からオファーをもらうことができました。給与も、希望額を上回るものでした。

とはいえ、私のチャレンジは始まったばかり。

まだまだもがいていこうと思いますアラサー女子。そのさきにある未来が明るいと信じて。

金曜日の彼

これは、東京で働く20代前半女性のはなし。

 

月曜日 各タスクの進捗を回収し、確認する

火曜日 新しい情報をもとに、いくつかタスクを走らせる

水曜日 軌道修正が必要そうなものをピックアップして実行

木曜日 週明けに向け、各所に新しいタスクの依頼と報告

金曜日 諸々の事務処理や調整

 

いわゆる大企業に勤めていた私の平日は、こんな感じで流れていた。

土日に出勤することもあったが、嫌な気はしなかった。

働いた分の給料は受け取っていたし、チームで一番年下だったペーペーの私が貢献できることなんて、誰よりも早くキャッチアップすることくらいだったから。

 

そんな時に出会った人だった。

 

近い業界で独立していた一回り以上歳の離れた彼は太い案件をいくつか担当しながら

経営も行い部下を食わせ、忙しそうに、楽しそうに生きていた。

その姿に、純粋に憧れていた。

 

当時、大学院に通いながら会社に勤めていた私は、修士論文の執筆に集中すべく退職を選んだ。

その旨を報告すると、サシの送別会を提案された。

驚いた。発注する側だったから気を遣わせてしまったのかと思い、申し訳ない気持ちになった。

開催は、金曜日だった。

 

銀座からはじまったその夜は、赤坂・恵比寿・渋谷と移動を重ね、彼の知人や同僚と呼ばれる人たちが現れては消えた。

お店はだいたい移動中の車内で電話を鳴らし、「今から空いてる?」の一言でコトが済んでいた。

きっとよく、こういう遊び方をしているんだろうなと察し、私なりに背伸びをしながら謳歌してみせた。

憧れの人と渡り歩く夜の街は、20代前半の私にとって十分すぎるご褒美だった。

空がうっすらと明るさを取り戻し始めた頃、お礼を述べてタクシーにからだを押し込んだ。

疲労とアルコールが混ざり合い頭はクラクラしていたが、

友人たちと飲み明かした帰り道とは異なる、不思議な充実感があった。

 

それ以降、金曜日の夜になるとポツリ、思い出したように彼から連絡がくるようになった。

利害関係のない、それでいて社会的な立場を知っている私は、気楽で都合が良かったんだと思う。

 

夜の街は、他愛のない会話をするのに困らないだけのネタで溢れていて、

目の前で交錯する色恋を酒の肴に楽しんだ。

お互いのプライベートについて話すことはなかった。

ある時は初めましての人たちに混ざり、2人して雰囲気に溶けこんではタイミングを見て離れたりして遊んだ。

別々に飲み会をしていた夜は、それぞれの二次会を合同にして幹事の役割を買って出、みんなで朝を迎えたこともあった。

そんな風にから騒ぎの一部になったり傍観したりを繰り返し、曖昧だけどリアルな瞬間に身を任せた。

いつからか、まどろみながら一人乗り込んでいたタクシーには、彼が隣へ深くのけぞって腰掛けるようになっていた。

そうして帰宅し、夜が明け、お昼前になると身支度を整えて一杯のコーヒーを飲みほし、部屋をあとにするのだった。

言葉はあまり意味を持たず、お互いの呼吸と認識がそのほとんど全てだった。

だから私たちの金曜日は、自由で滑稽で、少し不埒だった。

 

月に1・2度訪れるこんな金曜日が板についてきた頃だった。

私は大学院を卒業し、転職した頃に別の男性から交際を申し込まれた。

特に断る理由もなかった。

引っ越しをして住む場所を変えた。

金曜日の彼とは、自然と疎遠になっていった。

彼を思い出すことは不思議となかった。

なぜなら私は、彼の仕事以外について全く知らないのだ。

知っていることはといえば、酒のせいでゆるみきった笑顔と口癖、タバコの銘柄。

そのくらいなもんだ。

趣味も、休日の過ごし方も、住んでいる場所も生まれた土地も、血液型や誕生日さえ知らない。

 

ただ、今でもアメリカンスピリッツの匂いが鼻をかすめると、やけに嫌気のない悔しさと懐かしさが襲う。

これだけは紛れもなく、私だけのものだ。

 

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 後書き:

なんか小説っぽいものを書きたくて衝動的にグワっと物語をやりました。フィクションです。

2017年 旅で恋したTips6つ

今年はとにかく出かけました。

振り返ってみるとこんな感じ。

もともと海外フリークでもないし、語学を専攻していたわけでも長期間の留学経験があるわけでもないため、

一年間でここまで色んな場所へ出かけたのは人生で初めてでした。

 

せっかくなので私がトキめいたものを”恋した”と表し、まとめておきたいと思います。

 

1. パリで出会ったボブンという料理

去年の今頃はちょうどパリで過ごしていましたが、食事はひたすら東南アジア系の料理をテイクアウトしていました。

そこで夢中になったのがベトナム料理のボブン。もうね、これが、本当に美味しい。

春雨の上にきゅうり、人参、もやしなどのシャキシャキ系野菜とカリカリの揚げ春巻きでもりもりですが、酸味のきいたソースにハーブがマッチしたさっぱり味で、何度でも食べられてしまいます。

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パリジャンに大人気の料理「ボブン」ってなに? | TABIZINE~人生に旅心を~

 

その後のヨーロッパ生活でもひたすら探すほどハマりました。

しかし、パリで食べたボブンを越えるものには出会えませんでした。日本のパクチー好きにウケそう。

ぜひ一度ご賞味ください。

 

2. 京都の老舗、俵屋旅館

仕事が早くてセンスの良い友人が、最高の旅館をブックしてくれました。

内装設備と接客において気になるところ・嫌なところはゼロ。客室は少なく、静かな日本家屋で安心感たっぷり。

特に食事に関しては美味しさはもちろん、目で楽しめるものも多く、驚いたり感心したりしながらゆっくり頂き、楽しい時間でした。

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噂には聞いていたけど、本当に電子機器・コンセント類は目に見えるところにありませんでした。充電場所に一瞬戸惑ったけれど。

 

3. 車から眺めたカリフォルニアの砂漠

世界最大の音楽フェス・Coachellaで連日さわぎ倒した後、サルベーションマウンテンへ車で向かいました。

その道中、走り抜けた砂漠が途方もなく広大で、高揚したテンションを落ち着かせてくれました。

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どこにでも行けるような何者でもないような不思議な気持ちになって、語彙力がゼロになりました。

この度はメンバーにも恵まれたな。思い出しても胸が熱くなります。

 

4. ロンドンのマーケットは可愛いと美味しいがたくさん

ロンドンのマーケットは人が元気で楽しい!!

さらに、食料品のマーケット、ビンテージの雑貨やお洋服が多く並ぶマーケット、

英国製の工芸品やジュエリーが揃っている、お土産選びにぴったりなマーケットなど、それぞれテーマがあるため飽きずに回ることができました。

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個人的には、Covent Garden Marketの周囲でやっていた大道芸がクオリティ高くて、印象的でした。

 

5. お祭りモードな夏のバルセロナ

「陽気が過ぎる!!」と声に出したくなるほど、8月のバルセロナは熱気に溢れていました。

滞在期間中 #PRIDE2017 のパレードと被っていたこともあり、カラフルな仮装をしたLGBTを訴える人々の大行進。

スペイン料理とワインを堪能したり、ビーチで変テコな自転車おじさんを捕まえたり、個性的なダリ建築に惚れ惚れしたり、夕日を眺めたりして、遊んで過ごしました。

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グラシア通りでハイブランドのお買い物もできるし、バルセロナは女子旅にピッタリの場所だと思います。

 

6. 老後はチューリッヒで暮らしたい

スイスはご存知の通り世界一安定したフランが通貨であり、税金と物価が高いことで有名な永世中立国

マクドナルドのセット価格1500円〜の表示を見た時は、驚愕しました。

街は綺麗に整備されており、高いビルが一つもなく、もちろんホームレスは見当たりません。

道は、トラムがひっきりなしに走っているため、中心地の車の交通量は少なめでした。

他にも、平日の昼からおじいちゃんおばあちゃんたちがチェスやペタンクを楽しそうにやっていたり、

休日は社交ダンスを踊っていたりと、穏やかなムードと景色に心が癒されました。

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これまで行った国のどことも違う落ち着きがあった気がします。

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老後は、安全にまったり過ごしたいと思ったとさ。

 

来年は、本格的に拠点をイギリスに移す予定なのでヨーロッパやアフリカでまた恋に落ちたい。